LOGIN相沢さんの黒い瞳に、野獣のような剣呑な光を認めて、もう逃げられないと確信した。恐怖を感じながら、心のどこかで楽しみにしている自分もいる。
「あ……あいざわさん。おねがい……イかせて……」
もう本当に限界で、僕は羞恥心をかなぐり捨てて懇願した。
「ふふっ、いいぜ。でも、まだ挿れてあげない」
相沢さんは意地悪くそう言うと、僕の足の間に頭を埋めた。
「え……? ……あ゛っ!」
突然、しびれるような衝撃が、下半身から頭の先に走った。
相沢さんが、僕自身の先に唇を這わせたからだ。次第に舌を絡め、舐め上げ、僕を追い詰める。
「ぐ、あ゛っ……あいざわさん、も、……ぅあ……む、りぃ……!」
僕が白旗を上げると、相沢さんは僕自身を咥えた。
「あ゛あ゛ぁ……っ!」
そのぬくもりと感触に、僕は相沢さんの口内へと欲望を吐き出した。
「ん゛っ……!」
相沢さんのくぐもった声が聞こえた。
視線だけを下半身に向けると、僕を咥えたままの相沢さんと目が合った。
「相沢さん……は、離して……ください」
頼んでみたものの、彼は一向に離してくれない。それどころか、口内に出したものを飲み下しているのか、彼の舌が裏筋をリズミカルに刺激する。敏感すぎる自身には強すぎて、痛みすら感じ始める。
「ん゛ぁっ!? ちょっ……あ、相沢……さん! 飲ま、ないで……!」
必死に懇願するけれど、少しも聞いてはくれない。
「相沢さ、あ゛っ……!」
僕から引き離そうと、彼の頭に触れた瞬間だった。ものすごい勢いで吸われ、僕の体はビクリと跳ねた。まるで、欲望の残滓を吸い取ろうとしているみたいだ。
「あ゛……だ、め……! 吸っちゃ、だめぇ……!」
言葉とは裏腹に、自身はまた硬くなっていく。
(イッたばかりなのに、どうして……?)
やめさせたくて、彼の頭に触れている手に力を入れようとする。けれど、さわさわと彼の髪を触るくらいしかできない。
しばらくして、顔を上げた相沢さんは、
「ごちそうさま」
と、舌なめずりをする。
語尾にハートマークでもついているような言い方に、僕は急に恥ずかしくなった。
「飲んじゃだめって言ったのに……」
「あんたが、俺の口の中に出すからだよ」
「そう……だとしても、飲み込むなんて――!」
「興奮しちゃう?」
ねっとりとたずねられて、僕は言葉に窮した。
正直なところ、先ほどの光景と感触を扇情的だと感じていた。
「ふふっ、また勃ってる。やっぱり、体は正直だな」
相沢さんは、僕自身に軽く口づけをした。
「ひゃっ、あ……! あいざわ、さん……それ以上は……!」
強すぎる快楽から逃げようとして、声をかける。
けれど、彼は上目遣いで僕を見て、
「やめるとでも思ってる?」
と、静かに告げた。
瞬間、のどを締めつけるような感覚がした。
低く妖艶な彼の声音に、どくりと心臓が跳ねる。恐怖とも期待ともつかない感情が、ぞわりと肌を粟立てる。
「まだ、拒否する理性が残ってるんだ? 幸せになりたいって言ってたのに。往生際が悪い子には、お仕置きが必要かな?」
彼は、ゆらりと上体を起こして、言葉をかみしめるように告げる。その黒い瞳には、僕の反応を楽しむ余裕みたいなものはなかった。あるのは、獰猛な獣のような飢えた光だけ。
「もしかして、期待でもしてるの? そんなにビクつかせて。佳晴さんって、意外と変態なんだ?」
言いながら、相沢さんの顔が僕の顔に近づいてくる。
「そ、んなこと……ない」
事実を指摘されて、僕は彼から顔をそらした。羞恥心で語尾が小さくなっていく。
「そんな事、あるだろ!」
静かに吠えると、相沢さんは僕の顎をつかんで強引に自分の方へと向かせる。
「ん゛ぅ!」
荒々しい口づけをして、舌で僕の口内を蹂躙していく。
「ん゛……ぅ、ふぁ……は……ん゛ん……」
先ほどの甘いキスの比ではないくらい、舌使いが激しい。吐息は自然に漏れ、次第に頭がクラクラしてくる。
(……このまま、キスされっぱなしだったら……ヤバい、かも……)
ぼんやりとした危機感が、頭の中によぎる。けれど、すぐに溶けてなくなり、どうでもよくなる。
「ん゛っ!?」
突然、胸の突起を摘まれたかと思うと、自身に緩い刺激が与えられる。彼が、自分の膝を、僕自身にぐりぐりと擦りつけてくる。
(ぁ……ヤバ……上も下も気持ちいい……)
悦楽を教え込まれ、このまま溺れてしまいたいとさえ思えてくる。
しばらくして、相沢さんの唇は、僕を解放した。
「ぁ……」
名残惜しくて、無意識に声が出てしまった。
「エッロい顔。そんなに気持ちよかった?」
そうたずねられ、僕は無言でうなずく。
「それはよかった。じゃあ、もっと気持ちよくさせてあげる」
微笑む相沢さん。上気した頬が、彼の色気を倍増させている。
期待に胸を膨らませていると、彼は僕の首筋に口づけた。唇を這わせながら、時折、ちろちろと舌で弄る。
「はぁ、ん……ふっ……ぅあ……」
鼻にかかったような甘い声が、僕の口から止めどなく溢れる。
(僕……こんな声、出せるんだ……)
自分の甘い嬌声を聞きながら、どこか他人事のように思った。自分でも知らなかった一面が、相沢さんによって暴かれる。
「……あんたの声、すっげーそそる。もっと聴かせて」
そう言うと、相沢さんは僕の胸の突起を口に含んだ。
「ぅあ゛っ……!」
知らなかった快感に、僕は声を上げてしまう。
片方は舌先で舐め転がされ、もう片方は指先でカリカリと擦られる。それが気持ちよくて、もどかしくて、どうしようもないくらいに悶えてしまった。
「あ゛ぁ……っ……にゃ……! ら、めぇ……! おかし、くなるぅ……!」
言葉が、勝手に口をついて出る。彼の頭に手を添えて、もっととせがんでいるような、抱きしめるような形になる。こんな暴力的な快楽は、生まれて初めてだった。
僕の体は、どこもかしこも敏感になってしまった。彼がほんの少し触れただけで、甘いしびれが走り、過剰に反応してしまう。その度に、嬌声を上げ、自身がひくひくと戦慄き、腹の奥がぞくりと疼く。
(……中、触ってほしい……)
そんな淫らな欲が、頭をもたげる。
「う、ぁ……はっ……あいざわ、さん……そこ、ばっかり……やぁ……」
他にも触れてほしいと、言外に告げる。
僕のもっと奥――より深い部分に触れてほしい。相沢さんと一つになりたい。そう思ってしまった。
「ん? じゃあ、どうしてほしい?」
僕の胸から顔を上げた相沢さんが、小首をかしげる。
「ぇ……?」
すぐに触ってもらえない事に、僕は、情けない声を出してしまった。
「佳晴さん、教えて」
早くとうながす彼は、少し息が上がっているのか、言葉の端々に吐息が混ざっている。
「ぁ……えっと……ここ、触って……ほしい」
僕は、自分の両足を広げて、触れてほしい場所を示した。消えたはずの羞恥心が、言葉で伝える事にブレーキをかけた。
「エッロ……。あんた、マジでノンケだったのかよ? ははっ! いいぜ。いーっぱい触って、ぐっちゃぐちゃにしてやるよ!」
そう言うと、相沢さんは、僕の窄まりに彼自身を充てがう。
「ぁ……はぁ……んっ」
ようやく、一番触れてほしい場所に触れてもらえる。そう思うと、気持ちが昂ぶる。腹の奥が、蠢くように疼く。
「挿《い》れるよ」
低く告げると、相沢さんがゆっくりと僕の中に挿入《はい》ってきた。
「ん゛っ……! んん……」
慣れない質量に、思わずまぶたをぎゅっと閉じる。中から押し広げられる感覚と痛みが、彼に貫かれている事を思い知らせる。けれど、不思議と恐怖は感じなかった。昨日の今日だからなのか、それとも僕が彼を求めているからなのか、理由はわからない。
「きつ……。佳晴さん、息吐いて、力抜いて。大丈夫だから」
と、相沢さんに頭をなでられる。
すると、無意識に強張っていた体から、自然と力が抜けた。
「あ゛……ぅ……なに、これ……気持ちいぃ……」
とろけてしまいそうなほどの恍惚感が、僕の頭の中を支配する。
「あ、ちぃ……佳晴さんの中で溶けそう……」
気持ちよさそうな相沢さんの声に、僕は自然と口角を上げていた。
「動くよ」
そう言うと、相沢さんは僕の返事を待たずにゆっくりと腰を動かす。
「う……ふっ……は、ぅ……ん゛っ……」
緩い抽挿が繰り返され、僕の口からリズミカルに声が漏れ出る。
「あんた……咥え方、上手すぎ……! 俺の形、覚えてるみてえ。昨日の今日で、覚えたのか……よ!」
言い放ちざま、相沢さんは奥に強く押し込んだ。
「あ゛っ……! あ゛、あぁ……ふか、す、ぎ……!」
のどを締められたように苦しくなり、上手く息ができない。なのに、頭の中は、気持ちよさでいっぱいになる。
「まだまだ、こんなもんじゃないぜ。佳晴さんの声、もっと聞きたい。やらしいとこ、もっと感じたい。もっとよがって。もっと、俺で感じて……もっと、もっと!」
言いながら、抽挿を速める。
次第に、肌がぶつかる乾いた音と卑猥な水音が、僕の耳に届く。
「あ゛ぁ、は……ふぐぅ、かはっ! は、げしい……!」
声が止まらない。快楽の波もとどまることを知らず、僕を翻弄する。息をするのもままならず、甘い酸欠状態が、僕を襲った。
「はぁ……っ、ほんっとに、佳晴さんの体、よすぎ。腰、止まんねえ!」
相沢さんは、酔いしれるように告げる。
抽挿が繰り返される度、彼自身が脈打ち、より硬くなるのを感じていた。
(あ……やばい……。僕も……腰、勝手に動く……)
喘ぎながら、自分の体がコントロールできないことを自覚した。このまま、彼との悦楽に溺れたい。彼と一緒に果てたい。本能が、そう叫んでいる。
相沢さんが繰り返す抽挿、僕が上げる嬌声、結合部分から聞こえる卑猥な水音。それだけが、この異様な熱気が漂う部屋に響いている。僕達は、互いに快楽を貪り合うだけの獣になっていた。
「お゛ぉ……あ゛っあ、ぁ……だ、だめ……あい、ざわさん! また……!」
何度目かわからない限界を迎えそうになり、僕はどうにか相沢さんに伝える。
「まだイくなよ。俺も、そう少しでイキそ……だから!」
と、相沢さんが眉間にしわを寄せた。
「ひぎぃっ……! ぐぅっ……い……いっしょ、に……イキ、たい……!」
「俺も……佳晴さんの中に出したい」
「お゛、く……だして……! あいざわ、さん……で、いっぱい、にぃ……! ぁ、らめ……イ゛ッちゃう……!」
「イけ……! イッちゃえ……! 頭ぶっ飛んだまま、イけっ!」
最奥をえぐられる。
「あ゛っ、い、イぐイくイく……イ゛、ぐっ!」
命じられるまま、僕は欲望を吐き出して果てた。
「く……締まるっ……! ――っ!」
ほぼ同時に、相沢さんも僕の中に吐き出した。
腹の中が、じんわりと温かい。頭の中が、真っ白に溶けていく。
「……んっ!」
相沢さん自身が、僕の中から抜かれる瞬間、僕は小さく声を上げてしまった。
「かわいい声、出しちゃって。まだ足りない?」
なんて、相沢さんにたずねられて、僕は一気に恥ずかしくなった。それ以上に淫らな姿を見せたというのに。
「足りないわけじゃ、ないですけど……。まだ、落ち着かなくて……」
僕がそう言うと、相沢さんは僕の横に寝転がった。
「それじゃあ、落ち着くまで、こうしててあげる」
と、優しく頭をなでられる。
それがとても心地よくて、快楽とは別の温かな気持ちが胸の中に広がっていく。
(幸せって、こんな感じなのかな? ……こんな事、自然にできるなんて、モテるだろうな……)
ふと、僕はそんな事を思った。
悔しくないと言えば、嘘になるかもしれない。でも、自分には、到底、真似できないと負けを認めてしまった。
「ん? どうしたの?」
僕が見つめていたからだろう。相沢さんが、優しく微笑んでたずねてきた。
「あ、いや……終わった後、いつも、こういう事してるんですか?」
そんな問いが、自然と口をついて出た。
「ああ、まあね。たとえ一回だけだとしても、俺との事がいい思い出になればいいな、なんてね」
自己満足だけれどと、相沢さんははにかんだ。
確かに、最初は最悪だと思っていたけれど、今となってはいい経験をしたのかもしれないなんて思っている自分がいる。
「何? もしかして、俺に惚れた?」
妖艶な笑みで、相沢さんが聞いてくる。
そんなんじゃないと言いながら、僕は彼の胸に頭を埋めた。
「ただ、いやに慣れてるなと思って……」
恥ずかしさと気まずさで、ぽつりとつぶやく。
「……あの、さ。そんな、かわいい反応されると、襲いたくなるんだけど?」
苦笑するような甘い声で告げられ、僕の心臓と下半身がびくりと跳ねた。
「……して、ください」
彼の胸に頭を埋めたまま、僕は消え入りそうな声で告げた。
「じゃあ、遠慮なく。……悪いけど、優しくできねえから」
低く宣言すると、相沢さんは僕の首筋に口づける。
言葉とは裏腹に、落とされたキスはとても優しいものだった。
「……さん」誰かの声が聞こえる。聞き覚えのある甘い声。でも、どこか焦っているような感じがする。「佳晴さん!」はっきりと聞こえ、まぶたを開ける。視界に映るのは、今にも泣き出しそうな竜希の顔だった。「竜希……?」「よかったぁ。起きなかったらどうしようって、心配したんだから」ほっとしたよう声で言いながら、竜希は僕を抱きしめる。「あー……ごめん」まだぼんやりしている脳裏に、昨夜の事が一気に思い出された。「いや、俺の方こそ、ごめん。嫉妬して酷い事言っちまったし、強引すぎた」深く頭を下げる竜希。そんな彼を引き寄せて、額に軽いキスをした。「佳晴さん……?」「竜希が悪いわけじゃないよ。僕が、素直に言っていればよかっただけだから。それと、強引にされるのもいいかなって」「興奮した?」「うん、興奮した」「佳晴さんのすけべ」「竜希には負けるよ」言い合って、僕達は同時に笑い出した。こんなちょっとしたやり取りが、とても愛おしく感じる。「ねえ、竜希。まだ、時間あるよね?」「まあ、昼の十二時になったばっかだからな」と、竜希はスマホで時間を確認する。「じゃあさ、少しだけ……いいかな?」「んー? もう少し寝たいの?」と、竜希はいたずらっぽくたずねる。「もう、わかってるくせに。少しだけ……エッチしたい」「よく言えました。いいぜ、少しだけな」そう言って、竜希は僕に口づける。いつも通り濃厚なキスは、昨夜のような激しさはない。代わりに、ねっとりと口内を舐め回される。舌も吸われ、絡められ、愛撫される。「ん゛んっ……! んぅ&h
「……まだ仕事は終わってない、か」スマホで時刻を確認して、僕はため息をついた。篝火から帰宅して、シャワーを浴びたにもかかわらず、体内のどろりとした熱は燻ったままだ。いつも通り彼の部屋――寝室で、彼の帰りを待つ。「竜希……」熱に浮かされたように彼を呼ぶけれど、返事はもちろんなく、静かな部屋に消えていった。深く息をつき、スマホに視線を落とす。気を紛らわそうとSNSを眺めるけれど、内容が頭に入ってこない。脳内に浮かぶのは、竜希の顔で。「……竜希に依存してるなぁ」ため息とともにつぶやいて、ベッドに体を預ける。こんなに誰かを想っているなんて、本当に久しぶりだ。もしかしたら、初めてかもしれない。それほどまでに、僕は竜希を求めていた。体だけでなく、心も作り替えられてしまった。もちろん、嫌ではない。嫌ではないのだけれど……。(竜希……)彼の幻影を追い求めて、手が自然と下半身に伸びていく。「……っ!」スラックス越しに自身に触れ、すでに硬く反り勃っているのを自覚した。竜希がどう触れていたのかを思い出しながら、ゆっくりとさする。ぞわぞわと、甘い痺れが肌を駆け上がってくる。でも、何か物足りない。(……やっぱり、竜希じゃないとだめなのか?)もどかしさに追い立てられるように、直に自身に触れた。「あっ……!」びくりと体が震え、電撃のような刺激が走った。手は止まらず、息は上がる。次第に、頭がぼうっとしてくる。「人のベッドで、何してんの?」突然、竜希の声が聞こえて、僕は弾かれたように視線を向けた。扉の前には、いつの間に帰って来たのか、竜希が腕を組んで立っている。「あ、えっと&hel
翌日から、僕は篝火通いを再開した。扉を開くと、マスターと理沙さんが以前と変わらずに出迎えてくれた。もちろん、竜希も。いつもの席でチャイナブルーをオーダーすると、竜希がそつなくカクテルを作る。その姿が本当にかっこよくて、思わず見惚れてしまった。「お待たせいたしました」声とともに、鮮やかな青色のカクテルが僕の目の前に置かれた。「ありがとう。それにしても、たつ……相沢さんは、本当に手際がいいですよね」竜希と言いかけて、慌てて言い直した。「ありがとうございます。一応、これで生活してますので。それより、今、名前で呼ぼうとしたでしょ?」と、喉の奥で笑う竜希。「しかたないだろ? まだ、切り替えに慣れてないんだよ」声を抑えて抗議する。「でも、一線を画したいって言ったのは、佳晴さんですよ?」「それは、そうだけど……。なんか、ずるいよな。貴方は、どっちの時でも変わらないんだから」「俺は、こういうスタンスでやらせてもらってますので」ドヤ顔で宣う竜希に、少しだけ負けた気分になる。(でも、竜希が僕に沼ってるのは、事実だもんね)と、僕は密かにほくそ笑む。「佳晴さん? どうかしました?」小首をかしげる竜希に何でもないと言って、グラスを傾ける。爽やかな香りが、秘密を分け合う共犯者のように感じた。何か話したそうな竜希だったけれど、他の客からのご指名が入った。相沢相談所は、今日も盛況のようだ。竜希の背中を見送っていると、「お久しぶりですね」低く静かな声が聞こえた。振り向くと、いつの間にかカウンター越しにマスターがいた。「本当にご無沙汰してしまって……。その節は、お世話になりました」テーブルにつきそうなほど、深く頭を下げる。「いえ、私は何も。また、お客様がこうして来てくださった。それだけでは
「うん、美味い」と、竜希は満面の笑みで言った。ほっとして、僕もカレーを食べ始める。僕史上、最高の出来に仕上がっていて、思わずにんまりした。「自分で作るより、確実に美味いわ」竜希が、大絶賛で頬張っている。「褒められるのはうれしいけど、普通に作っただけだよ?」「謙遜すんなって。マジで美味いんだから。でもさ、じゃがいも、入れてないんだな」「ああ、うん。そういえば、今までじゃがいもを入れた事なかったかも」指摘されて、無意識にじゃがいもを避けていた事に気がついた。幼い頃から、カレーにじゃがいもが入っていないことが当たり前だったからだろう。「竜希は、じゃがいも入れる派なんだ?」「あー……気分によるけど、基本的には入れるかな」思案しながら、竜希が答える。「でも、入れない方が好きかも。このくらいの辛さが、ちょうどいいんだよね」「よかった。多めに作ったから、ルウだけでよければ、おかわりしても大丈夫だよ」僕が言うと、竜希は瞳を輝かせてうなずいた。「それにしても、佳晴さんって料理上手なんだな」「自炊するから、それなりにはね」「カレー以外も食いたいなー」期待するようなまなざしを向けられ、僕は「そのうちな」とはにかむ。まさか、こんなに好評だとは思っていなかった。今までは、自分の好きなように適当に作っていたけれど、今度からは竜希のためにも、もう少しきちんと作ろうと思った。「でも、本当に僕なんかが作る料理でいいの?」ふと、よぎった不安を口走る。「……なよ」それまでもりもりとカレーを食べていた竜希は、手を止めると沈んだ声でつぶやいた。「え……?」よく聞こえず、僕は少し身を乗り出すように聞き返した。「『僕なんか』なんて言うなよ。悲しくなるだろ。他の誰でもない、俺が、あんたの手料理を食いたいの!」
まどろみの中で、僕は眩しさを感じた。ゆっくりとまぶたを開けると、カーテンの隙間から爽やかな朝の光が差し込んでいる。起き上がろうとして、胸の上の重みに気がついた。隣を見ると、竜希が僕を抱き枕にしていた。(そういえば、竜希の部屋に泊まったんだっけ)と、気持ちよさそうな竜希の寝顔を見つめる。「ん……よしはるさん……」「ふふっ。どんな夢を見てるんだか」微笑みながら小さくつぶやいて、彼を起こさないようにそっとベッドから抜け出す。極力、物音を立てないように気をつけながら、着替えを済ませる。「ふぁ……あれ? もう、あさ……?」寝ぼけたような竜希の声が聞こえた。「おはよう、竜希。僕はそろそろ起きるけど、竜希はまだ寝てていいよ」言いながら、僕はベッドに近づいた。竜希の額に、軽くキスを落とす。「ん……冷蔵庫にサンドイッチが入ってるから、食べていいよ」竜希はくすぐったそうに目を細めると、ぽやっとした笑みを浮かべて言った。「サンドイッチ? もしかして、昨日の夜、先に寝てていいって言ってたのって――」僕が小首をかしげると、彼は軽くうなずいた。「朝から飯作るのって、面倒だったりするじゃん? 佳晴さんには、ゆっくり寝ててほしかったから」そう言って、竜希はもう一度あくびをする。「ありがとう、遠慮なくいただくよ」「うん。いってらっしゃい、おやすみぃ……」そう言うと、竜希はまぶたを閉じてすぐに寝入った。僕は小声でおやすみを告げると、愛おしい彼の頭を優しくなでて部屋から出た。「冷蔵庫は、と……」つぶやきながらキッチンをのぞくと、すぐ近くに黒い冷蔵庫が鎮座していた。扉を開くと、棚の中央にサンドイッチの皿があった。それとコーヒー牛乳のパックを取り出
「美味そう……」つぶやくと同時に、僕の腹が鳴った。「冷めないうちに食おうぜ」待ちきれないとばかりに、竜希がうながす。僕は何食わぬ顔でうなずいて、食卓についた。幸い、僕の腹の音は、彼には聞こえていなかったようだ。二人分のミートソースパスタとコーンスープからは、美味しそうな湯気が立っている。僕達はいただきますと言って、早速、食事に手をつけた。コーンスープのコクと甘味が、食べ応えのあるパスタにちょうどいい。「うん、美味い。さすがだね。短時間で、二品も仕上げるんだから」「サンキュー。でも、コーンスープは、市販のやつだよ。あの短時間で、パスタ作りつつ、ここまでなめらかにするのは、さすがに無理だって」と、謙遜する竜希。それでも、僕からしてみれば、すごい事には違いない。もし、同じ状況で僕が作ったら、二倍とはいかないまでも時間がかかると思う。「ごめん、佳晴さん」突然、竜希が頭を下げた。「え? いきなり、何?」理由がわからなくて、僕は小首をかしげた。「いや……明日、佳晴さん仕事だろ? なのに、無理させちまったから……」うなだれる竜希の姿は、どこかしょんぼりとした大型犬を彷彿とさせる。それが、何だかかわいらしいと思った。「ちょっとだるいけど、大丈夫だよ」だから謝らなくていいと言い置いて、僕はパスタを頬張った。「じゃあ、せめて、佳晴さんの家の場所を教えてよ」送らせてほしいと、彼は真摯に告げる。「……あれ? 言ってなかったっけ? 僕の自宅、このアパートの一階にあるんだ」「……へ?」素っ頓狂な声を上げ、竜希が目を丸くする。「なんか、ごめん」僕が謝ると、竜希は脱力したように微笑んだ。「いや……それなら、遅くなっても大丈夫だよな?」「え、いや、でも……明日、仕事だし……」「えー? いいじゃん。もう少し、佳晴さんと一緒にいたいんだって」
「――今日は、ありがとうございました」カフェを出てすぐに、僕は理沙さんに礼を言った。彼女に話したことで、心が軽くなった気がする。「どういたしまして。もし、また何かあったら言ってください。相談に乗りますので」と、彼女はにこやかに言った。僕は笑顔でうなずいた。友人はある程度いるけれど、この手の話はできないから、本当にありがたい。彼女と別れ、僕は真っ直ぐ帰宅した。日時が決まったら連絡するという彼女の言葉に、胸が躍る。「……そんなに会いたいな
カフェに到着した僕達は、店内の奥にある席を選んだ。周囲に他の客の姿はなく、相談事をするにはうってつけだった。とはいえ、本当に彼女に相沢さんとの事を話してしまっていいのかどうか、今更ながらに悩んでしまう。注文を取りに来た店員に、理沙さんは紅茶とイチゴのパフェを、僕はコーヒーをそれぞれ注文する。「……それで、相馬さんは、何を悩んでるんです?」店員の気配がなくなってから、理沙さんがたずねた。「それは……」口ごもる僕に、理沙さんは肩をすくめて、「まあ大方、相沢先輩との事なんだろうけど」
よそよそしい彼の作り笑いが、仕事中も脳裏にこびりついて離れない。忘れようとして、ジムで汗を流す。けれど、彼の低く甘い声が、耳の奥にこだまして、忘れさせてくれない。自宅に帰ってからも、彼の幻影は消えてはくれなかった。『佳晴さん』ふいに、彼の甘えるような声音が蘇る。「……っ!」劣情を抱えた僕は、窄まりにも手を伸ばす。彼の手つきを再現するように動かすけれど、どこか物足りない。「相沢、さんっ……!」僕は、少し強引に欲望を吐き出す。すっきりしたはず
翌日。体のだるさを引きずりながら、僕は目が覚めた。窓からは、相変わらず暖かな日差しが差し込んでいる。ふと横を見ると、相沢さんがかすかな寝息を立てている。(……きれいだよな)彼の寝顔を見ながら、僕はそんな事を思った。穏やかな寝顔を見ていると、昨夜の激しさが嘘のようだ。僕は、何の気なしに彼の髪をなでる。さらりとした質感がとても心地よくて、ずっと触っていたくなる。「ん……よしはる、さん……?」ぽやっと